高い技術力で服の建築家と呼ばれた本物の職人”バレンシアガ”

イメージはないかと思いますがクリスチャン・ディオールよりも何年も前に創設された老舗の”BALENCIAGA”の歴史を解説していきます。

BALENCIAGA

1917年クリストバル・バレンシアガ(Cristóbal Balenciaga Eizaguirre)が、スペインにオートクチュールメゾンを創業。

バレンシアガの歴史

1895年にフランスとスペインにまたがるバスク地方のゲタリアで生まれます。

針子であった母親から婦人服の仕立てを学び、幼い頃から仕立に興味を持ち始めます。12歳の時にはすでに洋裁師の見習いとして働き始めています。14歳の時顧客であった、カサ・トレス侯爵家で見た侯爵夫人のスーツをパリ風に真似たのがきっかけで、婦人はバレンシアガをパトロニエとして資金援助をするようになり15歳で独立します。

スペインで独立

1917年、22歳の若さでスペイン国内にてオートクチュール・メゾンを設立し、マドリード、バルセロナに新店舗をオープンしスペイン王家の御用達となるほどバレンシアガの名声は高まっていました。

フランスで初のパリコレクション

1937年スペインの内戦の影響でフランスのパリへと拠点を移し、オートクチュールメゾンを設立しコレクションをスタートさせます。この頃バレンシアガの服は機械を使った既製服では作れないパターンの腕前から”クチュール界の建築家”と称されるようになります。

この初のパリコレクションは、バレンシアガにとっての大きな転機になりました。

当時は、クリスチャン・ディオールの『ニュールック』と呼ばれる、コルセットで腰回りを固めぴったりとした体のラインがわかるような服が美しいとされていましたが、バレンシアガは、ウエストラインのない”バレル・ルック”、”サック・ドレス”など、体型を気にせずに着られる、ゆったりとした服を作り、その革命的なデザインは一気に注目を浴びました。

バレンシアガは服作りの全工程を自身で手掛けることができ、その技術力は勢いのあった当時のディオールさえも追随を許さなかったほどでした。

高い技術力で作り上げられた新しいデザイン

バレンシアガは類稀な圧倒的な技術力で革新的な新しいデザインを生み出し続けます。

1940年代から50年代にかけて、パリにて最高ランクのデザイナーとして活躍するようになり、ディオールやピエール・カルダン、シャネルなどと共に勢いを増していきます。襟なしの上着、バルーンドレス、腰回りのゆるいスーツ、キャミソール、体のラインに沿ったイブニングドレス、シンプルなサックドレス、チュニックラインなどモードの革命的なコレクションを発表し続けました。

ココシャネル(Coco Chanel)は「本当のクチュリエは彼だけだ」と言ったほどセンスと高い技術力の持ち主で完璧主義者でもあり、1日に120回の仮縫いをこなして、服だけに留まらず小物まで自分の手で仕立てるほどだったそうです。

1958年にはフランスの最高勲章「レジオン・ドヌール」を受勲。

1960年代に入ると、その高い芸術的な技術は、モードの世界でバレンシアガに並ぶものはいないといほどになり、クレージュ、エマニュエル・ウンガロ、フレデリック・カステットといった人物もバレンシアガの元で育っていきました。

引退

1968年フランス革命が起きた年「贅沢は不可能になった」と感じその年のコレクションを最後に「プレタに乗り出すには、あまりにもクチュールを知りすぎた」「プレタポルテを始めるには年をとりすぎた」と明言を残し73歳でオートクチュールから引退します。

そして全店舗を閉鎖し業界に大きな衝撃を与えました。

死去

引退後スペインに戻り、1972年にスペインの故フランコ将軍の孫娘のためのウェディング・ドレスを制作したのを最後に、全てを1人でこなすことのできる唯一のクチュリエで、その高い技術力を持って革命的なデザインを作り出した”クチュール界の建築家”と呼ばれたバレンシアガは1972年3月に77歳の人生に幕を下ろします。

不遇時代

バレンシアガの死後はジャック・ボガートによって所有されることになり、甥が事業を引き継ぎましたが新作を出すわけではなく、ブランドのライセンスを保持しているだけの状態が続きます。

その後1987年にプレタポルテをスタートし、1992年からジョセフュス・メルキオール・ティミスター(Josephus Melchior Thimister)がデザイナーとなりましたが、彼のコレクションは酷評され世界屈指のブランド”BALENCIAGA”はついに失墜してしまいます。

バレンシアガを救った天才

その天才は1995年にライセンス・デザイナーとしてバレンシアガに入社しました。

バレンシアガを失墜させ酷評されたジョセフュス・メルキオール・ティミスターのコレクション発表の2年後、わずか26歳という若さで1997年クリエイティブ・ディレクターに就任しました。 その天才デザイナーは後に”ルイ・ヴィトン”でマーク・ジェイコブスの後任という大役を務めることになる”二コラ・ジェスキエール”です。

ここから”BALENCIAGA”の快進撃が始まります。