ラグジュアリーにロックテイストを取り入れた天才”エディ・スリマン”

ラグジュアリーにロックテイストを取り入れた天才デザイナーエディ・スリマンの歴史を解説していきます。

HEDI SULIMANE

フランスのパリ出身のファッションデザイナー、フォトグラファー。

エディ・スリマンの歴史

1968年パリでチュニジア人の父親とイタリア人の母親の間に生まれます。

10代の頃に、細身だった自分の体型に合う服がないことがきっかけで独学で服作りを始めたり、11歳で写真に興味を持ちカメラを手にしたりと、この頃から多才で器用な一面を見せています。

エディは秀才でもあり、世界的にも屈指のフランスの名門校グランゼコールを卒業。その後、ルーブル学院で美術史を専攻していました。

ほとんどのデザイナーは、学校などの教育機関で服飾を学びますが、彼はそう言った教育を若い頃に受けていないことも天才デザイナーと言われる所以でもあります。

ファッションキャリアのスタート

ファッション業界でのキャリアのスタートは、大学卒業後1992年”Jose Levy”(ジョゼレヴィ)でファッションディレクターとして活動することから始まります。ここで2年間勤めます。

その後、ファッションコンサルタントの重鎮であるジャンジャックピカールのアシスタントを1994年から1997年までの3年間務めます。

ジャンジャックピカールは様々なクリエイターの才能を見出した人物で、他にも、ジル・サンダーやクリスチャン・ラクロワも彼の元にいました。2015年に全線から引退しましたが、引退する前はブランド業界で世界最大のコングロマリット(複合企業体)企業”LVMH”の会長であるベルナール・アルノー(Bernard Arnault)のアドバイザーを務めていた人物です。

二人の出会いはその後のエディの活躍に大きく影響しており、ここでテーラリングの基礎を徹底的に叩きこまれたと言われています。

無名からイヴ・サンローランへ

ほとんど無名だったエディをイヴ・サンローランの共同創業者である”Pierre Berge”(ピエールベルジェ)が目を付けました。エディは積み重ねた才能が認められ1997年に”Yves Saint Laurent rive gauche Homme”(イヴサンローランリヴゴーシュオム)のアーティスティックディレクターに指名されました。

その頃、イヴ・サンローランは大きな変革の時期で低迷していましたが、エディ就任後、その独自のシルエットで若々しくスタイリッシュに再構築し注目を集めます。

担当したのはジーンズラインです。イブ・サンローランのジーンズラインは名作となり、現在のサンローランを代表するアイテムでもあります。

イブ・サンローランで結果を残したエディですが、”GUCCI”の買収をきっかけに3年間務めたイブ・サンローランを2000年に去ります。

歴史を作った”ディオールオム

サンローランに退任した後、2001-2002 A/Wより”ディオールオム”(現:DIOR)のクリエイティブディレクターに就任します。

ここからエディ・スリマンの名前を世界が知る事になります。

ディオールには元々ディオールムッシュと言うメンズラインがありましたが、エディがディオールオムのデザイナーを務めたことで今までのデザインを一新し、現在では当たり前になったメンズウェアにロックスタイルと言った黒を基調にしたレザージャケット、細身のナロータイ、スキニーデニムパンツなどをコレクションで発表します。

このコレクションはファッション業界に激震が走るほど伝説的なコレクションで、細身のシルエットのデザインは瞬く間に人気が出始め、デザイナー界の「皇帝」と言われているフェンディやシャネルのデザイナーであるカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)がエディのデザインした服を着たいために“42kg”もの減量をしたと言われています。
この逸話はディオールオムの人気にさらに火をつけ、世界各国でディオールオムの衝撃的で一大ブームが起こりました。

その後2002年4月CFDAにより「デザイナー・オブ・ジ・イヤー」に選ばれ、2003年7月3年間の契約延長。メンズフレグランスのクリエイティブ・ディレクターも兼任します。

2007A/Wを持ってディオール オムのデザイナーの任期満了になり7年間でディオールを退任します。

退任後5年間、エディはファッション業界ではなくフォトグラファーとして活躍していきます。

イブ・サンローランに返り咲き

なんと2012年にイブ・サンローランのクリエイティブディレクターに就任し、モード界に舞い戻ってきました。

しかし、イヴ・サンローランはエディ就任以前は、グッチ(ケリング)に買収された後、ライセンスビジネスに専念していたため、全盛期の頃とは全くと言っていいほどファッションの印象はなく、皆さんもご存知の景品でもらうタオルや、スリッパ、タオルの印象が強い方もいるのはないでしょうか。エディはこのようになる事を知っていて一度イブ・サンローランを辞任しています。

そこで2度目の就任で数々の大きな改善を行います。

エディは就任後、グラフィックデザイナー”Adolphe Mouron Cassandre”(アドルフムーロンカッサンドル)による”YSL”のロゴイメージが強かった”Yves Saint Laurent”(イヴサンローラン)を”SAINT LAURENT(サンローラン)に改名しました。

この老舗ブランドのロゴ変更はファッション業界でも大きな話題になりました。

広告などもフォトグラファーとしてのエディ自身が手掛けました。

当時のイブ・サンローランはラグジュアリーブランドとしてのイメージがあり、バイカージャケットなどのロックテイストを取り入れることに抵抗があったそうですが、言うまでもなく改革は大成功し、売り上げは前年比30%UP、グループ企業内ではトップを争う程業績は急成長しました。

2016年3月、サンローランのクリエイティブ・ディレクターを退任しますが、現在もエディの作り上げたロックテイストは引き継がれています。

”セリーヌ”にメンズコレクション

2018年セリーヌのクリエイティブディレクターに就任。デザイナー業界にカムバックしてきます。
戻ってきた場所はウィメンズブランドとして名高い”セリーヌ”です。
セリーヌは一度もメンズコレクションを出したことがなかったのと、エディのロックテイストを取り入れることに世界中で賛否両論となり話題となりました。

しかしエディは信念を曲げることなく自身のスタイルを貫き通しています。

2019年春夏より、セリーヌのチーフデザイナーに就任。

まとめ

エディ・スリマンはメンズの一つのスタイルを作った歴史的なデザイナーです。

ロックテイスト、デニム、スカジャンなどラグジュアリーとかけ離れたアイテムを上手に落とし込んでいます。

一貫したスタイルを持つエディ・スリマンは、信者がかなり多く彼が手掛けたデザインを追っかける方も少なくないでしょう。

更にこれからのデザイナーとしてフォトグラファーとしてのエディ・スリマンから目が離せません。