「ハウス・オブ・グッチ」”GUCCI”崩壊から復活させた救世主とは?

”GUCCI”の創業者のグッチオ・グッチ死後、黄金時代を築いた”GUCCI”は無惨にも崩壊。それを救った天才デザイナーとは?

創業者から二代目へ

創業者のグッチオ・グッチ亡き後、事業はグッチオの6人の子供のうち、三男のアルド (Aldo Gucci)と五男のロドルフォ (Rodolfo Gucci)に株式の50%が均等に引き継がれます。

1960年〜1980年初期(黄金期

グッチ一族がこだわりをもって経営していた頃の作品は、イタリアのクラフトマンシップの賜物で1点1点作り上げていました。この頃のグッチの作品は、美術品としても大変優れており、”グッチオ”、”アルド”の手がけたオリジナルグッチが今では”オールドグッチ”とされ、希少性やデザイン性ともに世界中のコレクターから認められています。

こうした”GUCCI”の名作は創業者のグッチオ死後60年代~80年代初頭にかけて、抜群のデザインセンスを持った二代目の後継者アルドによって生み出されました。

事業継承した二人を主軸とした”GUCCI”は海外進出にも積極的に取り組み、アルドの代で店舗数は500にまで増え、世界的なブランドへと成長し70年代に黄金期を迎えます。

孫世代

アルドの息子”パオロ”

創業者グッチオ・グッチの三男であるアルド・グッチには、ジョルジオ、パオロ、ロベルトという3人の息子がいました。当時、名実ともにグッチのトップであったアルドは、自身が50%保有する株式のうち10%を3人の息子たちに3.3%づつ均等に分け、”GUCCI”の経営へ参画させます。

中でも次男のパオロ・グッチは独特なデザインセンスを持ち、1968年グッチ初のプレタポルテコレクションのデザインも担当します。

パオロは「グッチを万人に着て欲しい」との思いから、低価格ラインの開発や、ブランド名を貸出し他企業で商品を生産するライセンス事業など様々な案を、マーケティングを一任していた叔父のロドルフォに話を持ちかけるが、ブランドの価値を低下させる事を懸念したロドルフォはそれをことごとく拒否。

ロドルフォに不信感を持ったパオロは、ロドルフォのデザインした靴をショーウインドウから勝手に撤去し関係が悪化していきます。父親であるアルドはロドルフォの下からパオロを移動させましたが、この待遇をロドルフォは納得出来ずパオロを解雇してしまいます。

しかしデザインセンスのあったパオロは、ニューヨークで勝手にオリジナルのコレクションを作り、大量生産の低価格コレクションを作成。スーパーマーケットでの販売を目論みます。

これには叔父ロドルフォはおろか父親であるアルドも大激怒し、パオロをグッチから追放させました。

ロドルフォの一人息子”マウリツィオ”

マウリツィオは1971年にパーティー会場でパトリツィア・レッジャーニ(Patrizia Reggiani)という女性と出会います。父であるロドルフォは「金目当てに近づいた女だ」と二人の結婚に反対しましたがマウリツィオは父の反対を押し切り翌年パトリツィアと結婚。

1983年にロドルフォが死去し、70年代からグッチの事業に参画していたロドルフォ・グッチの一人息子であるマウリツィオ・グッチに株式50%が引き継がれます。

これを機に、夫マウリツィオをグッチのトップに据えることを計画したパトリツィアは、”GUCCI” から追放されていたアルドの息子パオロのグッチ家の憎しみを逆手にとり共謀します。彼の保有株式とマウリツィオの株式を合計することで発行株の過半数を制し、議決権を持ったマウリツィオは父ロドルフォの死からわずか一年後の1984年、”GUCCI”の黄金期を築いた叔父であるアルドを”GUCCI”CEOの座から引きずり落とします。

アルドも当然のように応戦しますが、社長時代の脱税容疑でマウリツィオや息子パオロに告訴されたアルドには、結果として多額の罰金と禁固刑の実刑判決が下り、80歳にして収監されてしまいます。

”GUCCI”崩壊

パトリツィアの思惑通りアルドは追放され、1988年”GUCCI”のトップに着いたマウリツィオでしたが、喜びも束の間。マウリツィオに任せるくらいならと、アルドの長男ジョルジオと三男ロベルトが自身の保有株を資産投資会社へ売却。手を組んでいたパオロもマウリツィオを裏切り、保有株を資産会社に売却。

1990年、黄金期を築いたアルドが死去。そして1993年にはマウリツィオ自身も、全ての株を売却します。

こうして”GUCCI”株の過半数が一族の手から離れ、世代を跨いだグッチ家の醜い争いはグッチのブランド価値を大きく下げ1993年に無惨にも崩壊してしまいました。

マウリツィオ暗殺

”GUCCI”崩壊から2年後の1995年、マウリツィオ・グッチが暗殺される事件が起こります。

マウリツィオは朝オフィスに入るところを、マフィアの雇ったヒットマンの銃撃を受け死亡します。

その後の捜査により1997年に逮捕されたのは妻パトリツィア。動機は諸説ありますが、事件の頃パトリツィアは、夫マウリツィオと別居中で、夫の暗殺を計画。依頼したマフィアとの間で報酬に関するトラブルから計画が発覚し、29年の懲役判決を受けますが、殺人の罪で刑務所に16年間服役し、2016年に釈放されています。

”GUCCI”を復活させた”トム・フォード”

1990年から既成デザイナーとして雇われていた”トム・フォード”が1994年にクリエイティブディレクターに就任しました。以前の廃盤になった、黄金期と言われたオールドグッチの60~80年代のアクセコシリーズをイメージして、”ミニマムGG”や”バンブーシリーズ”、フローラなどの要素を再構築し、見事に”GUCCI”を甦らせました。

1994年に、ドメニコ・デソーレをGucci America Inc.の最高経営責任者に、さらに1995年には 
Gucci Groupの最高経営責任者に任命されました。

トムフォードはドミニコ・デソーレの支持を得て、グッチ一族の黄金期だった頃を取り戻すかのように、1994年にクリエイティブディレクションを担当してから1996年までには既製服、ビジュアルマーチャンダイジング、包装、インテリアデザイン、広告など、会社のあらゆる面を監督し、無惨にも崩壊した”GUCCI”は奇跡的な再生を遂げました。

まとめ

現在でも根強い人気のある”GUCCI”ですが、過去には壮絶な歴史があって、”トム・フォード”と言う素晴らしいデザイナーがそれを再生させたストーリーがブランドの価値をさらに高めていますね。

このグッチ家の事件は、リドリー・スコット(Ridley Scott)が監督を務めた「House of Gucci」で映画化されていて、暗殺を企てたパトリツィア役をレディー・ガガ(Lady Gaga)が演じています。2021年に公開予定。