「ブランドの元祖」と言われる”GUCCI”の生みの親”グッチオ・グッチ”
ハイファッションブランド”GUCCI ”(グッチ)の創業者であるグッチオ・グッチの歴史を解説していきます。
GUCCI
1921年にグッチオ・グッチがフィレンツェで旅行バッグや馬具などの高級皮革製品店として創業。1922年に「GUCCI」という店名となる。
創業者グッチオ・グッチ
創業者グッチオ・グッチは、1881年ナポレオン戦争で復興のさなかイタリアのフィレンツェにて誕生します。
1989年革職人だったグッチオ・グッチの父親ガブリエロ・グッチは、経営する麦わら帽子の会社の経営が悪化し破産、自宅さえも失います。この出来事が、その後のグッチオ・グッチに大きな影響を与えます。
1898年当時17歳だったグッチオ・グッチは、父親の会社の破綻をきっかけに蒸気船の機関助手として船に乗りイギリスはロンドンへと渡ります。
蒸気船のスタッフとしてロンドンに渡ったのち、ロンドンにある最高峰サヴォイホテルのエレベーターボーイとして就職します。サヴォイホテルで出会った顧客には当時の大スターや富豪ばかりでした。そしてグッチオ・グッチはエレベーターボーイとして彼らの手荷物やバッグなどのファッション、デザインを自分の目で見て肌に触れ、その後のビジネスでの多くのインスピレーションを得ます。特にこの経験は後のブランドビジネスに大いに活かされることとなり
「原価は何も意味を持たない。むしろ商品の値段が高ければ高いほどそれを所有することの価値も高くなる」
とブランドの真理を読んでいた。
息子の誕生
1901年に故郷のフィレンツェへ戻りますが、第一次世界大戦時に徴兵されます。
1902年終戦後に再び故郷フィレンツェに戻り、後に”GUCCI”の主要人物となる子供が誕生します。三男”アルド・グッチ”、五男”ロドルフォ・グッチ”です。
グッチオ・グッチには、6人の子供がいましたが、家業を継いだのは三男アルドと五男ロドルフォです。
三男アルドは、16歳でグッチオの店でアルバイトをし、20歳からGUCCIでフルタイムで働き、”GG”のモノグラムや乗馬の意匠を盛り込んだローファーを開発した類稀なるデザインセンスの持ち主です。
五男ルドルフォは、若い頃に映画俳優を目指しますが、うまくいかずグッチオの勧めで家業を手伝うようになり、 映画俳優だったことを生かしソフィアローレンやオードリーヘップバーンを顧客にし、グッチのブランド力を高めることに成功したマーケティングの才能に優れていました。
こうしてグッチオは、二人の息子をライバルにさせて、その相乗効果でグッチの基礎を確立していきました。
1922年”GUCCI ”誕生
1921年グッチオ・グッチが40歳の頃、フィレンツェで旅行バッグや馬具などの高級皮革製品店として創業します。その1年後に「GUCCI」という店名にし、2年後の1923年には2店舗目をオープンします。
息子のアルド、ロドルフォと共に、ミラノとローマに新しい店舗、フィレンツェにも店舗を広げ、会社を拡大しました。当時のグッチのお店にはハンドバッグ、靴、ローファー、革のアクセサリーを置いていました。
1933年”GG”(ダブルG)モノグラムの誕生
1933年グッチは世界で初めてデザイナーの名入り商品を販売しました。”GG”(ダブルG)のモノグラムは、品質保証の証としてグッチオのイニシャルを商品に刻印したものです。これが「ブランドの元祖」と言われる所以で三男アルドが発案しました。
その2年後の1935年には、ダイヤモンドパターンが誕生しています。
1947年バンブーシリーズの誕生
1939年に第二次世界大戦が始まると、今まで好調に拡大していったグッチも、革が統制品となって使用が困難になり苦しい状況を強いられましたが、代替素材としてコーティングを施したキャンバス地が思わぬ人気を呼びます。
さらに1947年には、代替素材として日本から竹を輸入して造った”バンブーシリーズ”(持ち手が竹で作られた製品)を発売し世界中で大流行となります。これがきっかけで、1940年代後半にはロンドン、パリに、1950年代にはニューヨーク、ロサンゼルスへと店舗を展開していきます。
1951年”緑・ 赤・ 緑”のシェリーライン誕生
1951年グッチオの三男であるロドルフォは、ミラノに初店舗をオープンします。この頃、馬具の腹帯にヒントを得た”緑・ 赤・ 緑”のシェリーライン(WEBライン)が生まれ、グッチのイメージアイコンとなります。
さらに、映画界の仕事をしていたグッチオの息子が、映画の小道具にグッチ製品を用いたところ、瞬く間に世界のセレブリティ達の御用達となり、 アルドとロドルフォは、グッチオの反対を押し切り1953年にニューヨークにも店舗を展開します。
1953年創業者グッチオ・グッチ死去
ニューヨークに店舗を構えてわずか15日後、創業者であるグッチオ・グッチは1953年の夏にミラノで72年の生涯に幕を下ろします。
まとめ
グッチは、最高の品質と、常に新しいアイデアと挑戦で時代を乗り越え、人々を魅了していましたが、そんなグッチオが築き上げてきた”GUCCI”は 、創業者の死から約30年後の1984年頃から、財産問題・血族間でのスキャンダルが勃発し一族間の壮絶な争いが起きてしまいます。